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松江城(まつえじょう)
別名:千鳥城
国史跡、日本100名城
場所 出雲国
島根県松江市殿町城山
築城者 堀尾吉晴
築城年 慶長十二年(1607)
主な城主 堀尾忠晴、京極忠高、松平直政、(直政以降、松平氏)
主な遺構 現存天守(国の重要文化財)、南櫓・中櫓・太鼓櫓(復元)
塀、曲輪、石垣、水堀、

歴史背景
 松江城を築城した堀尾吉晴は、美濃攻めの頃から秀吉に仕え、また豊臣家の中老職につくなど豊臣恩顧の大名であった。しかし、慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いでは、隠居していた吉晴に代わり息子の忠氏が他の豊臣恩顧の大名と同じように徳川方に味方することとなる。堀尾家は関東の徳川家康の押さえの1つとして東海道筋の浜松城を秀吉から与えられていたが、浜松城を家康に提供するなど、徳川軍に全面協力する。結局、これが戦後、家康に評価され、遠江・浜松12万石から出雲、隠岐両国23万5千石に加増される。吉晴・忠氏父子は、当初、出雲国の月山富田城に入城するが、富田城が山城で近代の町づくりや領国経営に適さないことから新たな城地を選定し、松江城を築城することとなる。築城工事は、慶長十二年(1607)から開始され、慶長十六年(1611)に完成したといわれる。完成前に吉晴は亡くなり、その孫の忠晴が初代城主となり、出雲松江藩の当主として城下町の発展に尽くした。しかし、忠晴は、跡継ぎがなく死去したため堀尾家は改易となり、京極忠高(京極高次の長男)が若狭・小浜より26万4千石の領主として入封するがこれも1代限りで途絶える。そして、寛永十五年(1638)、松平直政(結城秀康の三男)が信濃・松本7万石から18万6千石の領主として入封。以後、松江城は江戸時代を通して松平家の居城として役割を果たす。

天守閣遠景

下から見る天守閣

左から南櫓・中櫓太鼓櫓

城について
 松江城は、全国に12しかない現存天守を有する城の1つで、その天守閣は非常に貴重な歴史的建造物である。外観5層、内部6階で最上階が望楼式となっていて、桃山時代の重厚で雄大な特徴がよくでていて、とても趣がある。また、平成十三年に南櫓、中櫓、太鼓櫓の3基と塀が125年ぶりに復元されて、城の景観がとてもすばらしいものとなっている。石垣も立派なものが多く、さらに内堀は遊覧船で周遊することが出来き、見所満載のお城である。


史蹟松江城の石碑

南櫓、中櫓

太鼓櫓馬溜跡

二の丸上の段から見る太鼓櫓

二の丸上の段から見る南櫓

大手門跡

二の丸下ノ段

三ノ門に続く石段

二の丸上ノ段

本丸の入口である一ノ門の手前

日本に12箇所しか存在しない現存天守を有する松江城
現存ならではの重厚感がある(国の重要文化財)

天守内部
やっぱりお城は木造がいい

天守最上階からは、宍道湖が望める

天守最上階から見た本丸

乾櫓跡

北ノ門跡

本丸北の石垣群

「怪談」などの作品で知られる小泉八雲旧宅(国史跡)

城北にある武家屋敷玄関

城北の内濠

北惣門橋脇虎口ノ門跡


松江城関連年表
1600年(慶長五年) 堀尾吉晴・忠氏父子が関ヶ原の功により出雲・隠岐の領主となり月山富田城に入る。
1604年(慶長九年) 忠氏死去。
1607年(慶長十二年) 亀田山で松江城の築城を開始する。
1611年(慶長十六年) 6月、吉晴死去。
冬頃、松江城完成。
1633年(寛永十年) 堀尾忠晴(吉晴の孫)死去。堀尾家、嗣子なく断絶し改易。
1634年(寛永十一年) 京極忠高が若狭・小浜より松江城に入城。
1637年(寛永十四年) 忠高死去。京極家、嗣子なく改易。
1638年(寛永十五年) 松平直政が信濃・松本より松江城に入城。以後、明治まで松平家の居城。

感想
 とても整備が行き届いており、景色が良く雰囲気のいいお城でした。やはり、なんといっても現存の天守がコンクリート造りと違って、非常に趣がありすばらしい。また、遊覧船などがあり城好きでなくても、楽しめるお城です。


<入城料>
大人:550円
小人(小中学生):280円
<アクセス>
JR松江駅
下車。バスで「県庁前」「松江城(大手前)」下車。

駐車場:市営大手前駐車場(有料)

周辺地図
<リンク>
NPO法人 松江ツーリズム研究会(松江城を管理運営)









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