三村家親・元親の墓(みむらいえちか・もとちかのはか)

場  所: 岡山県高梁市成羽町成羽(源樹寺)


三村家親・元親親子の墓


 備中国を中心に一大勢力を誇った戦国大名三村家親・元親親子の墓である。
 三村家親は毛利元就と結んで備中の大半、備前及び美作の一部にまで勢力を誇る戦国大名だったが、永禄九年(1566)敵対する宇喜多直家の配下の者に美作の興善寺(久米南町)で暗殺されてしまう(鉄砲による狙撃といわれる)。
 跡を継いだ元親は、永禄十年(1567)弔い合戦として約2万ともいわれる大軍で宇喜多領に攻め入るが大敗(明善寺合戦)。その後も宇喜多氏との勢力争いは続くが、天正四年(1574)毛利氏が宇喜多直家と結んだため、元親は毛利氏から離反し織田信長と誼を通じる。これに対する小早川隆景の対応は早く、毛利軍は大軍で備中に侵攻(備中兵乱)。元親は備中松山城に籠り対抗するが、天正三年(1575)落城し松蓮寺で自刃した。



三村家親の墓

三村元親の墓

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駐車場:源樹寺駐車場

最寄り駅:JR伯備線備中高梁駅、備中広瀬駅

訪問年月:2023年12月


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