洞光寺
(とうこうじ)
〜尼子清定・尼子経久墓所、尼子氏菩提寺〜

  場 所: 島根県安来市広瀬町広瀬1431
宗 派: 曹洞宗
山 号: 金華山
創建年: 文正二年(1468)
創建者: 尼子清定

洞光寺本堂
寛永年間(1624〜43)より現在地に移る。

 洞光寺は備後国高野山金尾に尼子清定(尼子経久の父)によって文正二年(1468)に開創された。そして備後国高野山金尾から月山富田城麓に移築したのが文明年間(1469〜1488)といわれている。洞光寺には尼子清定・経久父子の墓所がある。
 尼子経久は京極氏の出雲国守護代の地位から出雲国の実権を乗っ取った下剋上の典型であり、中国地方を代表する戦国大名として有名である。経久の時代が尼子氏の全盛でその勢力は山陰地方では圧倒的であり、山陽地方にも大きな影響を及ぼした。西国の大大名・大内氏とも互角に渡り合い、安芸の一領主に過ぎなかった毛利元就にも大きな影響を与えた。


戸には尼子氏の家紋「平四つ目結」がみられます

洞光寺登り口

「尼子氏歴代追悼碑」

「尼子経久公墓所」の幟

右が尼子清定の墓で左が尼子経久の墓

「尼子清定・経久両公之墓」とある

近隣の三日月公園に建つ尼子経久像

月山富田城跡


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